だます、信じる、疑う、頼る、共有する

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こんなニュースを見つけて、ちょっと胸が痛くなってね。

こういう、人をだますやり方で得た利益って必ず何かの形で失うと思う。やってる本人にもきっと自覚はあって、ずっと自分の心の奥底に潜み続けるんだろうなぁ。そういう人生は歩みたくないものだね。

信用と信頼の違い

それで、最近感じていたこととリンクしたので何か書いてみようと。まず、「信用」と「信頼」の違いをはっきりしておこうと思って調べたらそのものズバリな記事が見つかった。

1行にまとめると、

過去の実績を根拠に「信用」し、未来の行動や結果を期待して「信頼」する

かな。

実際にこれを考えさせられたときの場面はこう。

  • 相手が秘密を教えてくれたとき、弱みを見せてくれたとき
  • 相手が悩みを打ち明け、相談してくれたとき
  • 商談で、デモのプレゼンテーションを要求されたとき
  • 抱えている課題を持ちかけて、受けた提案の真意を見抜こうとしているとき

1つめのは、信用してくれてるんだなと感じる。下手に口外しないよね、バカにしないよね、こちらのことをもっと知ってほしい、みたいな。2つめは打ち明けたのが信用によるもの、相談はその上で信頼してくれたから期待が含まれている。上記の1行に当てはまっている気がする。3つめはまぁ当然なんだけど、ほんとにできるの?という疑いに応えるために実績を示す。4つめは、実はこれは議題にしたいところなんだよね。

Win-Winという言葉の胡散臭さ

これが常につきまとうわけ。例えば、店のオーナーが「うちの店をアピールするためにオシャレでキャッチーなチラシをデザイン会社に発注したい!」となって制作会社が「うちは実績ありますよ、いいの作りますよ」となっても、Win-Winに見えるんだけど本当に成し遂げたいことって売上アップであってチラシをカッコ良くすることじゃないっていうパターン。いわゆる真のニーズ的な。

だから信用と信頼というキーワードを持ちかけて考えてみるんだけど、信用も信頼もできるといえばできる。そうなったときに何が引っかかるのか分析すると「本当に自分のことを考えてくれているかどうか、それを感じられるか」という結論に至った。

信頼ってのは同じリスクを共有することさ

― 出典不明

確かに、その通りだよなぁ。なんだか、結婚を想起させる。

僕を信じろ

信じるとか信じないとか考えていたら、ふとアラジンの映画を思い出した。この場合の「信じろ」は、信頼しろ、のことだね。そして、記事冒頭の画像のチョイス、これね。このときのジャスミンの返す言葉と表情、不思議と今でも覚えてる。公開は1992年、23年前だ……

そんなことを考えていたら夜が明けて、僕の長いGWが幕を閉じましたとさ。

ショータ