未来を楽しく語れる人
こないだ話してた時に頭をよぎったのがこの記事。
最近、「すてきだなあ」と思う人と出会ったんですけど、彼は基本的に、未来の話をするんですよね。もちろん過去の話もしますけど、成功も失敗も、面白おかしく、聞いてるこちらがアハハと笑える話にまで昇華できているものしかしない。基本的にいつも未来を見ていて、こんなことがしたい、こうなったら楽しい!をポンポン出してくれて、こちらもそれに乗っかって色んな話をしているだけでワクワクしてくるんです。
そのワクワクが楽しくて、また会いたいなって思うようになって、そのときに、「この人と一緒にいると未来が楽しそうだな」と思わせられるかどうかって、けっこうモテの秘訣かもしれないな〜と思いました。ユーモアのセンスもあるんでしょうかね。
自分が誰かと会話してて楽しいと感じるときも、確かにこの通りだなあと納得。気の知れた昔からの友達とバカみたいに笑ってる時って、「新しいコレを手に入れたら、こんなことができるかも!?」「アレと組み合わせたらもしかしてこんなことができたり!?」「昔夢に描いたアレができるじゃん!笑」ってよく話してるのを思い出した。
嫌悪、許容、そして応援
日常生活の中で出くわしたイレギュラーな人や、不自由に暮らしている人たちに対してとやかく言う話題、実はあまり好きではない。いや、そんなのが好きという人なんていないと思うけど、無意識のうちにそういう話題にしてしまっている。これは、未来を楽しく語る話題ではないよね。自分たちはそうじゃないからオッケー☆なのかもしれないけどさ。
以前出会った言葉があって、その文字列は記録していないのだけど、だいたいこんな意味:
- 初級: 相手を嫌悪する。そういう人になりたくないと思う。
- 中級: 相手を許す。執着しない、気にしない。
- 上級: 相手を応援する。色々事情があったんだね、良くなるといいねと思う。
この解釈を知ってから、並大抵のことは気にならなくなった。良く言えば悟り、悪く言えば無関心。上級でありたいと努力するけども、まぁそんなに余裕もないので実態は無関心がほとんどだろうなあ。
話を戻すと、要するに僕は誰かの失態とか変な人がいたとか、どうでもいいんですよ。なんか事情があったんじゃない?正義の味方でもあるまいし、他人の面倒なんて見てらんないよって感じで。自戒するところはして、ハイ終わり、とか言いたくなってしまう。
正しさと心地よさ
そうやって結論を急いだりするとビジネスみたいになって、友達とのコミュニケーションという目的から遠ざかる。きっとそのとき表情はこわばっているだろうね。解決したいんじゃなくて、親睦を深めたいわけで。
読み終わってため息が出た.......会社では「正しい・正しくない」が大事だけど、生活は「心地いい」かどうかを基準にしたほうが幸せになれると思う。 / “正しすぎて辛い” http://t.co/mlBMHgTMEV
— 「た」@5月はこどもの日で(ry (@tamu2822) 2013, 4月 10
心地よさ、これだね。
だから人と会話するとき、ああ、この話題は未来に向いていないなと感じたら、そちらに促せるようなスキルを身につけたいと思う。
ショータ